青春は終わったものだと思っていた。
もう高校2年生になって5ヶ月が経ったにも関わらず、何にも身が入らない。友達と遊びに行っても以前ほど楽しくなく、勉強なんてできたもんじゃなかった。あれほど熱中していた軽音楽部にさえ、あまり行かなくなった。
学校に行って家に帰り、たまにバイトに行く。そんななんの面白みのない学校生活を過ごしていた。
――今日、教室に戻るまでは。
「あ、体操着忘れてる」
俺は家に帰って、忘れ物に気づき思わず呟いた。
別に、明日体育があるわけではないから今日絶対に持って帰らないといけないわけではない。しかし、そう思って4日連続で持って帰ることを忘れたときに、次忘れたらすぐに学校に取りに戻ると決めていた。
そのため、俺は通学カバンを家に置き、自転車の鍵だけを持って学校へと戻る。
家から学校までは徒歩5分ほどしかない。自転車で行けば3分で着く。あまり遅くなると、教室を最後に出た人が教室の鍵を締めてしまうため、職員室に寄らないといけない。しかし、まだホームルームが終わって1時間も経っていないし、多分開いているだろう。そう思って、ものの数分で学校に到着した俺は駐輪場に自転車を置くと、そのまま直接教室へと向かった。
階段を登り、3階にある自分の教室の扉を開く。運良く教室の鍵は開いており、ガラガラと音を立てて引き戸を開く。
続いて、ドダダッと何かが倒れた音がした。
「えっ、なんの音だ?」
扉に何かがもたれかかっていたのかと思って慌てて確認するが、何もない。じゃあ一体何が倒れたのかと教室を見渡すと、なにか床でもぞもぞと動いている物体が転がっていた。
「な、なんだあれ……」
地球外生命体でも飛来してきたのかと思い、恐る恐る近づいて蠢いているその物体を確認する。
「き、来田西さん?」
その結果、蠢いている物体はクラスメイトだということが判明した。
「すいません、驚いて転げちゃって――東くん!?」
クラスメイトの女子である来田西萌香は転げている状態から起き上がり、こちらの顔を見るやいなや俺の名前を叫んだあともう一度転んでしまった。生まれたての子鹿もびっくりな速度で二度転んだ来田西を起こそうと手を伸ばす。
「だ、大丈夫……え?」
転んでいる来田西をよく見ると、体操着を持っている。しかも転げ落ちた来田西がおそらく座っていただろう席は俺の席。
「その体操着――」
「ちがっ、違うんです! これはそのー…えっとー…あっ、そうです! 落ちてて! 落ちてて誰のかなーっと思いまして! 匂い嗅いだらわかるかなーみたいな……」
「体操着に名前書いてあるけど」
ちらりと体操着の胸の部分を見るとやはり、俺の名前が書かれていた。
「あ、あー……き、気が付かなかったなー、はははー……」
「……嗅いだの?」
気がつくと、来田西の顔が真っ赤になっていた。別に辱めたい訳では無いが、それでもなぜ体操着を持っていたのかは聞いておきたかった。
「な、なんで?」
「そ、その…これは――ごめんなさい!」
「ちょ、ちょっと!?」
来田西は叫ぶように謝ると、俺の体操着を机に置き、走って教室から出ようと扉の方へ向かった。しかし、
「――わっ!」
また転んだ。しかも今回は机に激突し、水の入ったバケツを盛大に転倒させ、辺りを水浸しにしてしまった。
「来田西さん!?」
俺が慌てて駆け寄ると、来田西はバケツの水をかぶったせいで服が濡れていた。夏服の制服がぴったりと体に張り付いているせいで体のラインが一目でわかり、下着も透けて見えてしまっている。
「いてて…」
俺が絶景――じゃない、来田西の姿に一瞬目を奪われていると、来田西はぶつけたであろう脇腹をさすりながら立ち上がった。
「や、やっちゃった…とりあえず床を拭かないと」
来田西がおもむろに廊下に出ようとする。
「ちょ、ちょっと待って!」
「す、すいません! 拭いたら帰りますから!」
俺の静止を振り切って、来田西は教室の外へ出ようとするのをやめない。
「そんな姿で廊下出るな!」
きょとんとした顔で、来田西がこちらを向く。
「そんな姿……? きゃっ!」
そこまで言われてようやく、来田西は自分の姿を見下ろして、慌てて胸元を隠した。
「ど、どうしよ……」
「とりあえず体操着に着替えたら? ここは俺が拭いとくから」
「い、いいんですか……?」
いいんですかってどういうことだ? と思ったら、来田西の視線は俺の机に置かれた体操着を向いていた。どうやら俺の体操着に着替えてもいいと勘違いしたらしい。
「俺のじゃねえよ! 自分のがあるだろ?」
「いや、今日女子は水泳だったので………」
そういえばそうだった。うちの学校では、水泳の授業がある期間は体育の時間に男女どちらかが水泳をするため、女子は体操着を持ってきていないのだった。
自分の体操着を女子に着せるのはなんとなくの抵抗感があるが、このままだと来田西が絶景をあちらこちらに振りまく動く世界自然遺産になりかねない。
「もう俺のでいいからとりあえず着替えて! 着替えるまで向こう向いとくから」
「わ、わかりました」
そう言って、来田西が俺の体操服に着替え始めたため、俺はちゃんと反対側を向きつつ倒れたバケツを元の位置に直す。バケツからこぼれた水は、ほとんど来田西の制服が被ったようで思ったより床は濡れていなかった。これなら、雑巾で軽く拭くだけで大丈夫だろう。ただ、雑巾は廊下に干してあり、取りに行くのはいいものの戻ってくるときに来田西の姿が視界に入ってしまうため取りに行けない。そのため、来田西が着替え終わるまで待とうと思ったのだが……。
き、気まずい。俺の体操服に着替えているのも、二人っきりの教室の中で今後ろで着替えているのも、かなり気まずい。しかも、時々聞こえる衣擦れの音が想像を掻き立ててしまう。
「お、おい。もういいか?」
「――はっ、はい! い、今着替え終わりました!」
俺が我慢の限界を迎え来田西に声をかけると、ちょうどのタイミングだったようだった。後ろを向くと、上着だけ体操着姿の来田西が立っていた。びしょ濡れの制服よりも格段にマシだが、これもこれでなんというか……。
「…どうしましたか?」
「いや、なんでもない。体操着は明日にでも返してくれればいいから」
「えっ……!」
来田西がびっくりしたような声を出した。考えてみれば、確かに半袖の体操着を着て帰るのは嫌かもしれない。俺のように数分で帰れるような帰路ではないだろうし。
「……じゃあ、うちくるか? 近いし」
「――えっ!? はひ!」
家で来田西の制服を乾かせば体操着で帰る必要はなくなる。今度は力強く了承が得られたため、ささっと雑巾で床を拭いて、家へと帰るのだった。