「松井、おはよう」
背中を小突いて、俺の前の席で眠っている男を起こす。
「あ~…東か。おはよう」
松井は同じ軽音楽部でバンドを組んでいる友達である。家が遠いため、電車が遅延することが多いらしく、早めに学校に着いては寝ている。俺は家から学校まで徒歩5分のためギリギリに来ることが多く、毎朝小突いて起こして挨拶している。
「今日は部活来るの?」
「……今日も行かないかな」
俺が断ると、松井はつまらなそうにため息をつく。ほとんど毎朝誘ってくれるのは嬉しいが、あまり部活に行く気にはならない。
「今何の曲練習してんの」
「流行りの曲を練習してるよ。やっぱり最近の曲が文化祭で盛り上がるから」
松井がスマホで今練習している曲のプレイリストを見せてくれる。流行っているのだろうが、最近の曲に疎いためほとんどが知らない曲だった。
「もう1ヶ月で文化祭か」
「そうだよ、出る?」
今から練習しても間に合わないだろう。うちの部活には複数のバンドがあって、文化祭に出たいバンドがオーディションを受けて出る方式だから、ちゃんと練習しないと文化祭には出られないようになっている。
俺は首を横に振った。
「去年は大盛りあがりだったのに」
「そりゃああんなにギターの上手い先輩がいたらそうだろ」
「まだ三波先輩のこと引きずってんの」
そう言われて思わずムッとしてしまう。いかに友達といえど、気軽に踏み込んではいけない話題がある。顔にも出てたのか、松井が慌てて手を合わせた。
「いや、ごめん。俺が悪い」
「引きずってるに決まってるだろ、まだ半年だぞ」
もう半年だろ、と思っているだろうなと松井の顔を見て思う。だが、まだ俺が失恋から立ち直れるにはまだ時間が必要だった。
「よくある話なんだからさ、卒業で別れるなんて。遠距離恋愛もキツイだろうし、先輩なりの優しさだと思うよ」
「女子と付き合ったことない奴になんにも言われたくないね」
反論できないからそれやめてね、と松井がサムズアップをする。よくやるけどそれ何なんだ? と毎回思っている。
「まあ気が向いたら部活来てよ。コーヒー奢るから」
「コーヒー飲めねえよ」
そう言って、1限目の移動教室の準備をする。ふと、来田西が目に入った。昨日から会ったら何を話そうか考えていたが、そういえばほとんど話さないし、取り越し苦労だったな。と思う。
「ねえ、萌香。聞いてんの?」
「あ、ごめん。空音ちゃん。なんだっけ、今年の吹奏楽コンクールの課題曲の3番がピッチが合わないと気持ち悪そうって話だっけ」
「大丈夫、私がそんな話振ること絶対ないから」
中学生からの友達の空音が呆れたようにため息を付いた。
「萌香もよく吹奏楽部続けようと思ったよね。あんな面倒くさい部活、中学3年間でコリゴリだわ」
「まあサックス吹くの好きだから」
「じゃあ軽音楽部も兼部すれば? 絶対続きそう」
どういうことだろう、確かに軽音楽部の楽器には興味があるけど、その程度でサックスくらいの熱量はない。
「だって東がいるじゃん。好きだから続くよきっと」
「なっ……!」
思わず立ち上がって空音の口を塞ごうとする。こんなこと東くんに聞かれたら……!
「やめてやめて! 重い重い!」
「重いって言うなー!」
地雷を踏み抜きすぎな友人である。ちょっとして落ち着いた私が席に戻るとニヤニヤして空音が近づく。
「そりゃあ重いでしょ。こんなものがぶら下がってたら…」
空音が私の胸を持ち上げる。胸の分の重量がなくなって、肩が楽になり、思わずその状況で落ち着いてしまう。
「後10秒くらい支えといて」
「いやまあ揉んでもいいならいくらでも支えとくけれども」
揉まれるのは嫌なのですっと体を引く。また胸の重量が帰ってきて、地球の重力を感じる。
「早くアタックしないと、ほかの女とくっついちゃうかもしれないよ」
「あ、アタック!?」
やっぱり、昨日みたいなことをどんどんやるべきだろうか。いや、昨日のは過激すぎるし、あれも再びするのはあまりにも難易度が高い。じゃあ普通に話しかけるべき? いやでも何を話したらいいかわからないし気まずいし……。
「……東となんかあった?」
「――エッ!? ナニモナカッタヨ!?」
「絶対なんかあったじゃん。聞かせてよ」
顔が真っ赤になるのを感じる。絶対にこれは聞かせられない。空音の猛攻をなんとか防ぎながら、1限目を迎えるのだった。